南米をさかのぼる旅も、突然の終わりを迎えます・・・アメリカ大陸の旅もラストスパートへと突入です。 Tomoko and Kazunari
ECUADOR/COLOMBIA (1)
Chapter:1 バナナの国
バナナペーパーは何処
 私、依然お腹は不調です。
 吐き気、ムカツキは取れたけど、食欲はまるでなし。水下痢もひどい。
 休養日にしたいモードだったけど、トモ子さんが「このベット、腰が痛くなるし行こうよ」と言うので、闘志をふるいおこして出発する。
 朝食には粉末のオレンジジュース、パン、マンゴーを少しだけ食べる。
 
 首都キトを目指すにはいくつかのルートがあるんだけど、ボクらはRiobamba(リオバンバ)を経由して行くつもりだ。
 バナナ畑に囲まれたパンナムを北上してゆく。
 さすがにバナナ王国だ。ひたすらバナナ畑が続く。エクアドル最大の輸出品目だそうで。このバナナが経済の柱というわけか…。
 道のすぐ間際まで木が植えられ、房々にはていねいにビニール袋をかぶせて栽培されていた。
そういえば、このバナナの木からバナナペーパーを作り、「製紙産業も興そう」というプロジェクトを聞いたことがあるけれど、どうなっているのだろう。
 実現すれば、森林保護にもつながる画期的な事業になるだろうなあ。

 道はひたすら平坦。小休憩を繰り返して走ってゆく。
 そんな時、とある場所でバス待ちの地元青年が「この辺りは気をつけた方が良いよ。ラドロン(泥棒)が多いから。早く先を急ぎなさい。」と注意を促してくれた。平和なバナナ畑地帯に見えるんだけど…。
 昨日もエクアドル・イミグレを過ぎて数km走ると、倉庫の壁に大きく「El Tariban aqui」の文字とオサマビン・ラディン氏の顔、NY9.11事件現場の絵が描かれていた。
 立ち止まって眺めていると地元の人が「ここは危ないよ。近づいてはダメだ。早く去りなさい。」と真剣な顔で忠告してくれた。
 エクアドルはペルーよりも治安が良くてホッとする場所かと思っていたのに、いきなり緊張させられることが続く。
 いったいどんな国なのだ?
 今日は、El Guabo の3km手前まで走り、ガソスタの敷地にテントを張らせてもらう。
 暑い一日で汗まみれだったけど、水シャワーもあり、ようやく生き返る。
 昼食にはヨーグルトとパンを食べた。そのあと吐いた。夕食にはチーズのエンパナーダス、ポテトフライ&チキンフライを少し食べて太田胃散を飲んでおく。
 力が出なくて、気力が湧かずつらいです。(一成)

2005-02-01
El Guabo, ECUADOR

曇り一時晴れ
49km 走行

パンアメリカンハイウェイ (ECUADOR)
2005-02-01
道のすぐ間際までバナナ畑が押し寄せている
道のすぐ間際までバナナ畑が押し寄せている
 もう、夜も朝もモワッと暑い。涼しくはならない。
 朝食はパンをかじり水を飲む。
 ここ数日間の体調不良で、頬がコケてお腹の贅肉が落ちた。力は出ないけれど、体が軽く感じられて蝶のように舞う感覚がする。
 ボクサーの減量ってこんな感じなのだろうか…?

 道はどこまでも平坦。路肩の幅は狭く、交通量は多し。排気ガス臭く騒音うるさし。
 本当に車はサイクリストの敵だ。こんな道、全然面白くない。
 そして、道中2回も車から水をかけられた。暑いからすぐ乾くけどなんだか不快な気分。
 「きっとがんばってる人間にサービスしてくれたんだ。」と無理矢理に思い込み気持ちを落ち着かせる。
 29km走り、Camilo Ponce の町で、セビッチェを食べる。
 ペルーのは酢漬けだけど、エクアドルのは暖かいスープ風。暑くて腐り易いからだろうか。
 数口だけ食べて残りはトモ子さんが平らげた。1椀、$1(¥106)なり。
 そうエクアドルの通貨は、現在アメリカドルだ。
 紙幣はアメリカのものだけど、硬貨は独自に発行している。パナマと同じですね。
 '99年に南米に来た時は、通貨スークレが大暴落中で旅行者にとっては天国。ボリビア以上に激安だったらしいけど、現在はペル-以上に高く感じる。
 特に、食事代、日用品、ネット代などが。通貨にアメリカドルを採用すると、こうなる訳か…。
 ちょっと物価高いぞ。コラ!エクアドル。

 小さい村々が点在する中、さらに36km走り、小奇麗なオープン・カフェ兼ドライブ・イン(?)、Rancho San Jacinto の裏庭にテント場を求める。
 許可を得るために、従業員たちがドゥエーニョ(オーナー)を呼んでくれたんだけど、デカイ四駆で現われたのはまだ30代の男性だった。
 大牧場と農地を所有し、片手間にこのカフェ(?)を経営しているらしい。
 米国への留学経験もあり、英語も達者で自転車のロードレースやダイビングのレジャーもこよなく楽しんでいるという。
 どうしても従業員たちと見比べてしまうけど、教養、素養が、そして風格がまるで違うんだなあ。あたかも階級の差を見せられた気分である。
 我が身を考えるに、自分などはどうみても労働者タイプ。永遠のブルーワーカーだなあと思ってしまうのだった。(一成)

2005-02-02
Naranjal, ECUADOR

曇り
65km 走行

 夜明け前、パラパラと雨が降る。どんよりと曇り空。
 宿にはシャワールームもあり。朝から水シャワーを浴びる。南国の気分だ。
 朝食はパンと水。7時にはテントを畳んで出発。
 道幅狭く、路肩はなし。車多く、排気ガスでゲロゲロ。
 14kmでNaranjalの町。屋台でチキン蒸し定食を少しだけ食べる。1皿$1.5(¥159)なり。
 そして蚊取り線香を捜しまわる。ペルーではどこの店にもあったのに、なかなか見つからない。
 ようやく中国雑貨ショップでコスタリカ製のを見つける。1箱10巻$1(¥106)なり。ペルーで買った中国製も効かなかったけど、どうせこれも効かないだろうな。
 中国本土には最新デザインのキンチョー並に効くものがたくさん売られているのに、どうして他国にある中国製は安かろう、悪かろうなのだろう。不思議だ。
 さらに20km走り、メインルートを離れて、La Troncal 方面へ曲がる。
 車が減り、ホッとした気分のサイクリングに戻る。
 ほったて小屋にバナナを所狭しと並べたおじさんが、ハンモックに揺られながら客を待っている。
「南国商売だね」とトモ子さんが言う。バナナ畑に交じり、さとうきび畑や田んぼの広がる風景を眺めつつ、26km走りLa Troncal に着く。

 今日は宿泊まり。ホテルを捜す。
 最近、宿捜しの担当はトモ子さん。値段を聞き、部屋を見て、ディスカウントの交渉をしてくる。この町では「Hotel Dino's」に決めた。
 最初「ツインルーム、シャワー、トイレ付き$8」とホテルボーイは言っていたのに、交渉してアレコレ話している間に「ダブルルーム、シャワー、トイレ付きで$3(¥318)」の部屋があるのが分かった。$8の部屋と大して変わらない。TVがないくらいなのに、なぜ倍も金額が違うのだろう?
 ものすごくお得な気分で$3の部屋にチェックインする。
 町中では水鉄砲や水入り風船玉を通行人にむけて投げている人たちがいる。
 なぜなんだ?また若い女性がターゲットにされているみたい。過激なのはビルの上階からバケツで水をまき散らしている。なんなのだ?
 人に聞くと、お祭りが近いんだろうな。本番は2月の6〜8日らしい。
 何の祭りで何のために水をかけるのか分からないけど、本番前から盛り上がっており、なんだかいい迷惑。
 走行中に水をかけられたのも、そのせいらしい。(一成)

2005-02-03
La Troncal, ECUADOR

曇り
62km 走行

ヴィラ・ヌエヴァ (ECUADOR)
2005-02-03
焼きバナナと少女
焼きバナナと少女
お祭りこわい
 1日休養したのち出発する。
 14km走ると、 El Triunfo。ここを左折するとグアヤキルというエクアドル最大の都市に行き着くが、私たちは右折してアンデスを目指す。
 ゆるい上り坂が始まる。
 途中、道端で10才くらいの少女からボール一杯の水をぶっかけられる。
 一成くんが”やめろ!”と手で制したが遅かった。怒り狂った一成くんは、少女を追いかけ回し、ゲンコツをくれる。
 私は自転車ごと転びヒザから流血。
 そこへ少女の父親が釘のついた板切れをふり上げて走ってきた。それを見た一成くんは、ますます激昂し、ひとしきり抗議した後、高見の見物を決め込んでヘラヘラしている若者のボロ自転車をふり上げ地面に叩きつけ、「自転車旅行者に二度と水かけるなよ!」と捨てセリフを吐いて立ち去った。
 お祭りなんだし、少女相手に本気で怒るなんてやり過ぎだよ…と内心思いつつ、一応私も彼らに「走行中の自転車に水をかけたら危険でしょ!旅行者は着替えも少ないし、地図とかカメラとか、濡れたら困るの!故障したらお金払ってもらうからね」と抗議しておく。
 El Triunfo から38kmで BUCAYの町。
 その手前を走行中、小型トラックから水風船を投げつけられ、私の背中からお尻にかけてがびしょ濡れになった。
 トラックの荷台でせっせと風船玉を作っては投げているのは、もういい年した若者連中だ。後ろから狙いをつけてぶつけるなんて、卑怯なやり方が許せない!…と、今度は私の方が怒りでイライラ気味。
 そこへまた水が…。子供が水鉄砲をうっている。取り上げて反撃でもしてやろうかと近寄ると、
母親がサッと隠す。その行為がまた癇にさわって、さらに一歩近づくと、いきなり大男に突き飛ばされた。痛〜!一成くんが抗議すると、突然、顔面パンチ!なに、この暴力男!? 唐突に2人の殴り合いが始まってしまったが
体格差がありすぎて、一成くんはボコボコにされている。ヤバイ..。
 しかし、こぶしは全然決まってなかったみたいで、周りに止められたとき一成くんはケロッとした顔で「ポリスを呼べ!こいつが先に殴った!」とさらに抗議。
 その間、食堂のおばあちゃんが私にコップ1杯の水を持ってきてくれた。
 せっかくだけど、飲む気もしなくて断ると、「違うよ、あの大男にぶっかけておやりよ!」と言う。おばあちゃんは私たちの味方だったのだ。すごく嬉しくなった。
 結局、周りになだめられ、もう2kmほど進み、Santa Rosa村のガソリンスタンドにテントを張らせてもらう。ハァ…、今日はバイオレンスな1日だった。
 水かけくらいで怒っちゃいけないとは思うけど、何で祭りの何日も前からやるんだろう。インドのホーリーはたった1日だけで、しかも私たちは大した被害も受けなかったぞ。
「こんなアホなことしよるけん、通貨が暴落したんやろ。」…きっとそうに違いない。
でも、話によると、ボリビアのある地方では”石投げ祭り”があり、死者が出るらしい…。南米の祭りって…命がけ!?(トモ子)

2005-02-05
Santa Rosa, ECUADOR

曇り
54km 走行

サンタ・ローザ (ECUADOR)
2005-02-05
南国フルーツ色とりどり
南国フルーツ色とりどり
 いよいよ Riomabma へ向けて本格的な上り坂が始まる。
 出発地 Santa Rosa村の標高は385m。
 まず5km上り、1km下る。4km上り、2km下る。10km上り、3km下る。そして、3km上り、Santiago村(Alt.1,190m)に着く。
 合計28km、丸1日かけて、これが精一杯だった。
 
 道中、小さな村々に商店はあるんだけど、お食事処は見当たらなくてビスケット、ウエハース、ジュースで昼食にする。
 途中で坂を下ってくる4人組のサイクリストにも出会った。みんな北南米縦断中。本当にこのルートにチャレンジするサイクリストは多いなあ。そのうち2人はアメリカ人とカナダ人の女性。
 彼女たちは、コロンビアの強盗出没で要注意のポパカン〜イピアレス間も自走して来たという。「やられちゃった(殺られる?盗られる?)人に話もあるけれど、私たちはラッキーだったわ。道は起伏が激しいけれど…ものすごくきれいな景色よ。」と語る。他のアメリカ人男性2人は考慮してバス移動しているというのに、なんともパワフルでチャレンジャーな女性だ。驚いてしまう。
 そして「今年の5月頃にはウシュアイア到着かな。」と、こともなげに言う。12,000kmも彼方なのに…。ホンマに西洋人には感服や。
 それから、今日から名称は知らないけど、お祭りの本番。村々では水をかけ合って盛り上がっている連中がわんさかといる。
 しっかりと目で制しておいて村々を通過する。後続や対向車からの攻撃にも目配りしながら峠を上る。お祭りは結構だけど水かけなんてアホで低俗な行為は止めてくれ。
 ”他国の文化を理解する”にも値しない。自分もバカだけに、他のバカ騒ぎしている連中を見るのはうんざりです。ハア…。
 Santiagoの村では、商店の裏庭にテントを張らせてもらう。
 お腹の調子もだいぶ回復してきたので、夕食にはご飯を炊いて、ツナと玉ねぎとレモン汁のサラダを作り食べる。(一成)

2005-02-06
Santiago, ECUADOR

曇り
28km 走行

パンアメリカンハイウェイ (ECUADOR)
2005-02-06
アメリカ人x3、カナダ人x1サイクリストに会う
アメリカ人x3、カナダ人x1サイクリストに会う
 昨夜は深夜まで近所からフルボリュームのラテン風ディスコ音楽が流れ、安眠
できず。
 ワシ、お祭りが恐い…。
 朝食には、ご飯とツナサラダの残り、とっておきの「鯛のお吸い物」を食べる。
 
 小雨が舞い、肌寒いけど7時30分に出発。朝からワインやお祭り用のチチャを飲みながらギターを弾き、お祭りソングを唄う人々の姿を見かける。
 ひたすら上り坂が続く。
 12kmでPallatanga(Alt.1,550m)の町。
 鳥肉と牛肉の煮込み定食を食べる。1皿$1.50(¥160)なり。
 各店先では豚を丸焼きにしたり、それを開きにして皮を切り取って売っている。
 このお祭りでは豚がごちそうになるらしい。面白くて写真を撮っていると、店のおじさんが豚皮と豚肉の揚げ物、もろこしゆでを分けてくれた。
 これがお祭りの味か…。美味いぞ。

 Pallatangaからは急坂が続く。4時間かかって10kmしか進めずにダウン。
 今日は合計22kmしか走れず、標高2,290mの集落で民家の庭にテント場を求める。
 家では親戚一同が集まり、賑やかに食事をしていた。主が私たちにも「食べなさい」と出してくれたのは、やはり豚肉ともろこしゆでだった。ありがたく頂く。
 小雨の中、テントを張る。子供たちがやってきて、興味深そうに眺める。そして「それ、テレビ?テレビ持ってるの?」と青いビニール袋でくるんだ大きなフロントバックを指さして言う。
 これがテレビに思えたのか…子供の発想って面白い。おもわずニンヤリとしてしまう。(一成)

2005-02-07
Pallatanga, ECUADOR

雨のち曇りのち雨
23km 走行

パンアメリカンハイウェイ (ECUADOR)
2005-02-07
民家で夕食を頂く
民家で夕食を頂く
ねずみの丸焼き
 今日も小雨が舞う1日。辺りはもやに包まれて一切景色は見えず。どこから上ってきたのか、道はどこへ延びるのやら全く分からない。
 ひたすらトモ子さんは歩き、ボクは黙々と自転車のペダルを踏む。
 7km上って2km下る。そして7km上り Hierba Buena(Alt.2,710m)の村。肌寒いけど、ジュースを飲んでひと休み。
 食堂の軒先では、クイ(天竺ねずみ)の丸焼きが炭焼の上でグルグルと回っていた。ペルーやエクアドルでは、とってもポピュラーな食べ物だけど、中には「絶対イヤ。食べないよ。」という地元民もいる。
 生きている姿は、座敷うさぎみたいですごくカワイイ。それを見てしまうと食べるのには抵抗感が生まれてしまうだろう。
 ボクたちも、クイが名物だとは知りつつも未だ試してはいない。どんな味なのか知りたいような、でもちょっと…迷ってます。 
 さらに11km坂を上り、Juan de Veldsco村(Alt.3,150m)に着く。さすがに今日みたいに雨の寒い日に、こんな高地の村々では水かけなどやっていなかった。
 それよりも、グラウンドに集まりサッカー大会に熱中している。健全で有意義だと思う。
 さらに3km坂を上り、道路脇のヤブに隠れて野宿する。合計30km進んだ。
 標高は3,375m。高所順応は個人差もあるんだろうけれど、フツーは3ヶ月間は維持するらしい。息苦しさや頭痛もなく完璧に順応している。(一成)

2005-02-08
Juan de Velasco, ECUADOR

曇りときどき雨
29km 走行

パンアメリカンハイウェイ (ECUADOR)
2005-02-08
ヤブ影で野宿
ヤブ影で野宿
 エクアドルって安全なのか、危険なのか・・・。
 出会ったサイクリスト達からは全く悪い話は聞かなかった。むしろ「すごくいい国だったよ。」という風に聞いている。
 その一方で、サイクリストやライダーを狙ってロープを張ったり上から石を落す強盗が出るだとか、”銃を持った5人組に襲われた”という情報も入る。
 エクアドル人は血の気が多いかもしれない。水かけ祭りでそう思った。すると、情け容赦のない、腕力の強い強盗の姿が目に浮かんできて恐い…。
 とりあえず、野宿地で朝を迎えるとホッとする。

 雨ともやですごく視界が悪い中を、徐々に上ってゆく。
 10kmでどうやらヒルトップに着いたらしい。標高は3,885m。1回上りがあったけど、あとはひたすら急斜面を下って、ヒルトップから19kmで Cajabamba の村。
 ここから交通量が一気に増えるけど、雨が上がり、青空が出て乾いた空気が気持ちいい。小さな上りはあるものの、さらに道は果てしなく下っていく。
 そして、Cajabamba から19kmで Riobamba(リオバンバ)に到着。標高は2,800mだ。
 アンデス高地にバナナ畑はないものの、野菜畑や牧草地の緑がきれいだ。
 そして三つ編みのインディヘナが多いのも特徴的。
 
 リオバンバでは3泊の予定。鉄道駅近くの宿「Hostal Nuca Huasi」にて2人で1泊$8のところ、$6にしてもらう。
 そして宿帳にはさざと次の目的地欄に反対方向の地名を記しておく。
 もしも宿と強盗がグルの場合、待ち伏せされる危険があるからだ。どこで誰に目をつけられるか分からない。
 スタッフのお兄さんは感じの良い人だけど。しばし私たちはウソつきな旅人となる。(トモ子)

2005-02-09
Riobanba, ECUADOR

雨のち曇り
48km 走行

「リオバンバ出発」

 エクアドルの食事には絶望していたが、宿の1階奥にあるレストランは小奇麗でしかもスープ+メイン+ジュースのセットが$1(約106円)だった。
 安くて美味しくて満足できた。
 まだ真っ暗な午前6時前、リオバンバを出発する。上り坂に取り組んでいるうちに、だんだん夜は明けていく。
 8km進んで、周囲を見渡す。この辺りでは、あるサイクリストのカップルが1年半ほど前にに5人組の強盗に襲われた。5人全員が覆面し銃を持っていて、リーダー格が50代くらい、あとは若者だったらしい。
 ユーカリ林に連れ込まれ、金目のものを全て奪われ、2人とも木に手足を縛り付けられ放置されたが、犯人逃走後、ポリスがすぐやってきたという。
 それも不思議な話で、「なぜ私たちを発見できたのか?」と尋ねても、ポリスの答えはあいまいだったらしい。
 午前9時のことで、交通量だってそれなりにあったと思うのに、もしかしてポリスもグルで通行止めしてた…とかいろいろ憶測を呼んでいる。幸いその地点を無事クリア。
 ガソリンスタンドを過ぎてふと左手を見ると、チンボラソ山が雲間から姿を現した。
 エクアドルで一番高い山(標高6,310m)で富士山のように裾野が広がる単独峰だ。
 リオバンバから12km地点で San Andres 村。道はさらに上っていく。
 ドシャ降りに遭い、靴の中までびしょ濡れになったが、ひたすら歩く。そしてSan Andres から14kmで標高3,630mのヒルトップ到着。
 10km下ると、Mocha村の入口。そして、3〜4回アップダウンした後、再びひたすら下り坂になり、Ambatoの街に近づく。
 また雨が降り出したので、テントはやめて手近な宿に入る。
 天気が悪い一日だったけど、チンボラソ山が見られたのは、すごくラッキーだった。強盗対策に早起きしてホントに良かった。(トモ子)

2005-02-12
Ambato, ECUADOR

曇りのち雨
58km 走行

パンアメリカンハイウェイ (ECUADOR)
2005-02-12
エクアドル最高峰チンホラン山(6310m)を望む
エクアドル最高峰チンホラン山(6310m)を望む
全てを出し切って・・・
 昨晩、トモ子さんはダニに全身を十数か所刺されたようだ。
 ボクは平気なんだけど、何が違うのだろうか。それにそんなに汚い宿でもないのに。
 旅人たちを見ていても、よく刺される人と、全然平気な人に分別できるみたい。虫に弱い人が安宿泊まりの旅をするのは大変やね。 
 エクアドルの電圧は日本と同じ100Vなのかな。宿での湯沸しは電熱棒を使ってるんだけど、自分のは200V用(イランで買った)なんで、お湯がなかなか沸かない。
 コーヒーとパンで朝食。そして6時10分には宿を出発する。
 まだ薄暗く、朝もやの中に街灯がまたたき幻想的だ。
 Ambatoは坂の町。1km下ると、町の中心部(Alt.2,600m)だった。さらに3km坂を下り、そして8kmの上り坂。道路は上下4車線の広い道。交通量は多い。排気ガス臭くてたまらない。
 その後、小刻みに UP&DOWN を繰り返して18km走ると、Salcedo(Alt.2,650m)の町。
 どうやらアイスクリームが名物らしい。看板が立ち並び、どの店にも自家製で円錐型のアイスが売られている。1個線40¢(¥42)。手作りの味はやはりうまい。
 
 今日は日曜日のためか、MTBやロードレーサーで練習に励む人が多い。パトカーにサポートされてツーリング?レース?している数十人のグループもあった。
 エクアドルも自転車が盛んだねえ。「トルヒーヨのルーチョさんの所(カサ・デ・シクリスタ)の名簿にもエクアドル人の名前が
たくさん描いてあったよ。」とトモ子さんが思い出す。
 レーサーの中には「数日前にリオバンバへの峠道で君達を見かけたよ。」と声をかけてくれ、よく冷えたゲータレ-ド・マンゴー味をくれた人もいる。
 
 Salcedoからは、ゆるい上り坂が続く。15kmでLatacunga(Alt,2,800m)の町。
 食堂で遅めの昼食をとり、ゆっくりとくつろぐ。そして午後4時頃、2kmほど進んで、町はずれのスタンドにテントを張らせてもらう。
 裏庭も広くて芝生で良さそうだったけれど、店員さんが「雨が降ると大変だろう」と気遣ってくれて、空き小屋の中へテントを張らせてくれた。(一成)

2005-02-13
Latacunga, ECUADOR

曇りときどき晴れ
48km 走行

アンバトー (ECUADOR)
2005-02-13
アロエ茶を飲む
アロエ茶を飲む
 昨夜に食べたツナ缶のせいだと思うけど、胃がもたれて重く腹部が張った感じがする。
 2週間ほど前に胃腸を壊して難儀したのもツナ缶が原因だった。ツナ・アレルギーを起こしたようだ(そんなもの、あるんか?)。トモ子さんも夜中、腹痛だったらしい。
 朝、6時過ぎ、まだ薄暗い中を出発する。Latacunga からは4車線の道が対面通行に変わる。
 舗装路肩あり。ゆるい上り坂がだらだらと続く。
 19kmでLasso(Alt.3010m)の村。パン屋で焼きたてのチーズパン等を食べる。
 そこからは、徐々に勾配がきつくなり、途中から上下4車線の広い道となる。Lassoから13km進んで、ようやくヒルトップ(Alt.3,535m)。
ガソスタの向かいのレストランで牛肉の唐揚げ定食$1.25(¥132)1皿をトモ子さんと分け合って食べる。
 今日はくもり空で展望はきかない。コトパクシ山(標高5,897m)などの名峰が全く見えず残念だ。あとはひたすら下り坂になる。
 Sto.Domingo(サント・ドミンゴ)への交差点を過ぎて、さらに2km進み、今日もガソスタのガレージの中にテントを張らせてもらう。
 標高は2,800m。寒くなく、暑くなく快適だ。
 胃がもたれてはいたけれど、夕食にはスープ・パスタを自炊して食べる。ところが次第に気分が悪くなり、結局吐いてしまう。
 朝から食べてきたものが全然消化されていなかったみたいだ。そして、夜中には水のような下痢。
 でも上からも下からもすべてを出し切って、気分はスッキリしてきた。トモ子さんの方は大丈夫みたいで良かった。(一成)

2005-02-14
31km before Quito, ECUADOR

曇り
58km 走行

 朝からシトシトと雨が降っている。
 3kmほどアップダウンした後、9kmほど上り坂。途中まで道が狭くてすごく走りにくかった。雨のせいで視界も悪いし、泥や砂利を巻き上げて、私達も自転車も汚れた。
 1km下り2km上った後、ひたすら12km下って首都キト市内に入る。
 南北に細長い町で、まず目印になるのがパネシージョの丘。
 丘の上には、背中に翼のある聖母像が見える。実はこの丘は強盗多発地帯で、徒歩や自転車では絶対に登ってはいけない場所らしい。
 (全然大丈夫だったという人もいるので運次第?!)丘の北側のふもとに旧市街が広がり、さらにその先に新市街がある。
 私たちが目指す宿「スクレホテル(Hostal Sucre)」は、旧市街の中でも特に治安が悪いと言われるサンフランシスコ広場の一角にある。
 襲われたらどうしよう・・・と思いつつ、坂の多い街中を自転車を押しながら歩く。
 幸い何事もなく宿にたどり着き、2階へ自転車を上げ、3階の部屋へ。2人で3.5ドルという安さと、洗濯場やキッチンが使え、情報ノートもあるので、この宿には日本人旅行者が多く集まっている。スタッフの感じも良い。
 私達も早速、情報ノートを頼りに「安くて美味しい食堂」へ行ってみることにしたが、すっかり間違って隣の店に入ってしまった。
 小汚くて不味くて高い(ボラレタ?)夕食を食べた一成君は、せっかく治りかけていた胃の調子を再びドン底に突き落としてしまった。(トモ子)

2005-02-15
Quito, ECUADOR


31km 走行

キト
<キト滞在記>

 キトは坂の町。旧市街にはコロニアル時代の古い館が建ち並ぶ。
 その中をインディヘナの女性達が、それぞれに物を売り歩く姿が印象的だ。
 ライトアップされた教会や、山肌に灯りの灯ったパネシージョの丘も幻想的。中でも夕暮れ時の独立広場は格別に美しかった。

 3〜4年前はキトの旧市街も結構物騒だったらしい。現在は町のあちこちにポリスの姿があり、一応治安が保たれているようで、歩いていても不安は無い。
 ただ店じまいが早くて、夜になると開いている商店や食堂はごくわずか。不便だし面白くないのが残念。夜の活気が無いんですね・・・。
 キト滞在5日間で何とか体調も回復。雑用も片付けた。さて次はコロンビアへ向かおう。(一成)

2005-02-16
Quito, ECUADOR


0km 走行

キト (ECUADOR)
2005-02-17
物売りのインディヘナ女性
物売りのインディヘナ女性
キト (ECUADOR)
2005-02-17
キオスコの少女
キオスコの少女
キト (ECUADOR)
2005-02-17
独立広場にて
独立広場にて
キト (ECUADOR)
2005-02-17
サンフランシスコ広場にて
サンフランシスコ広場にて
キト (ECUADOR)
2005-02-18
荘厳なバシリカ教会
荘厳なバシリカ教会
コロンビアへ
<エクアドル→コロンビアへ>

 9ヶ月前にサンパウロを出発したときは、キトまで走って南米大陸を離れるつもりだった。
 でもコロンビアまで行くことにしたのは、出会った旅人達が口々にコロンビアの良さをほのめかすからだ。
 ゲリラ・誘拐・強盗 =「危険な国、コロンビア」のイメージばかりがクローズアップされているのに、どうして旅人の間ではコロンビアの評判が良いのか・・・。実際にコロンビアという国を見てみたくなるじゃないですか!
 旅行予定が大幅に遅れているのでキトからカリ(コロンビア南部の町)まではバス移動して、比較的治安の良いカリ〜ボゴタ(首都)間を自転車で走ることにした。

 21日早朝、キトのバスターミナルから国境の町トゥルカン(Tulcan)行きのバスに乗る。運賃は4ドル、自転車代は1ドルを支払った。
 自転車はバスの屋根に積まれた。そして約220km、5時間をかけて、これでもかこれでもかとバスに乗っていてさえ嫌になるほどの上り下りを繰り返してトゥルカンに着く。
 ところで、キトの郊外で赤道を越えて北半球に帰ってきたんだけど、赤道記念碑はどこにあったのか見落としてしまった。残念。

 トゥルカンのバスターミナルから国境までの8kmは自転車で走る。
 エクアドルの出国手続きはスムーズ。コロンビアの入国手続きでは「コロンビアを出国するためのバスの切符か航空券」の提示を求められる。
 そやけど、中米からの空路では片道チケットでも入国できるくせに、こんな陸路のボーダーで何で出国用チケットが要るねん!しかもベネズエラ側からの入国にはそんな細かいこと聞かれんらしいで・・・全く。
「自分達は自転車でベネズエラに抜けるからチケットは持ってないし、不要です。(本当は行かないけど)」
 そして「30日の滞在許可では不足です。60日下さい。」と交渉する。本当はMAX90日くれてもいいはずなのに・・・。やれやれ。
 急坂を上り、3kmでコロンビア最初の町イピアレス(Ipiales)。
 時刻は既に夕刻。イピアレス〜ポパヤン(Popayan)間の夜行バスは危険!ゲリラ注意!」ということなので無理せず、今夜はこの町に泊まる。
 宿は「レジデンシャス・パリス」、ツインルーム(ホットシャワー、トイレ共同)で7000ペソ(350円)なり。
 夜になると広場の周りに屋台がならび、小さいながらもわくわくさせてくれる町だった。(一成)

2005-02-21
Ipiales, COLOMBIA

曇りのち晴れ
15km 走行

コロンビア・エクアドル国境 (COLOMBIA)
2005-02-21
コロンビアへ入国
コロンビアへ入国
<イピアレス→カリ>

 早朝カリ行きの小型バスに乗る。
 聞いて回ったんだけど、大型バスはほとんど運行されてないという。
 この小型バスに、タンデム自転車を積むのに四苦八苦した。屋根には乗せれず、荷物庫も小さい。何社にも「無理だよ」と断られ、ようやく「Bolivaliano社」の小型バスに、ホイールもはずし、フロントフォークも抜いて、何とか積み込むことができた。
 運賃は一人30,000ペソ(1500円)に値切った。自転車代も10,000ペソ(500円)に値切ったけど、それはドライバーが自分のポケットにねじ込んだ・・・ようだ。

 コロンビアの道もエクアドル同様に、息もつかせぬ上り下りが果てしなく続く。
 あまりにもダイナミックな山岳風景に目が釘付けになる。大変そうだけど走ってみたい・・・。
 でも随所に銃を携えて検問に立つアーミーの姿を見るにつれ、やはり走るのは怖いかも・・・と思い直す。

 パスト(Pasto)、ポパヤン(Popayan)を通り、カリ(Cali)までおよそ450km。
 8時間余りでカリのバスターミナルに到着。近代的なビルが建ち、整然とした町並み。コロンビア第3の大都市だ。

 自転車を組み立てて、早速日本人宿「だるま」へ向かう。
 街の雰囲気がエクアドルとはずい分違うことを実感しながら走る。カフェ、バー、レストランなんかオープンスタイルで欧米風だ。シャレている。
「だるま」では女将さんのアレハンドラさんが出迎えてくれて、ドミ部屋に案内してくれた。一泊10,000ペソ(500円)なり。シーズンオフで泊り客は少ない時期らしく、滞在中3ベッドルームを二人で占拠したままだった。
 静かでヤニ臭くなくて良かったけど、ちょっと寂しくて物足りない感じもした。(一成)

2005-02-22
Cali, COLOMBIA

曇りのち晴れ
3km 走行

<カリ滞在>

 アレハンドラさんは白人系コロンビア人だが、日本語が驚くほどペラペラ。
 若いころに日本人留学生と出会い、結婚して日本に17年間暮らしていたのだそうだ。いろいろ事情があって今はコロンビアに帰り、ここカリで日本人宿を経営している。
 階下からお子さんたちの声がよく聞こえてくるけど、完璧な日本の若者語。日本生まれの日本育ちだから、スペイン語より得意なのかも。なかなか面白い家庭だ。

 カリは標高1,000m弱位しかないので結構暑い。夜でも水シャワーが浴びれる。
 それでも午前中はわりと涼しいし、雨も少なく住みやすい気候だと思う。ここから首都ボゴタまでは500km弱。3,000m級の峠を2つほど越えて、標高2600mの高原都市になる。
 カリ〜ボゴタ間の道路はよく整備されているらしい。人々の意識も洗練されていながらホスピタリティ豊か、自転車スポーツが盛んで安心してサイクリングを楽しめるという。

 そんな魅力いっぱいのコロンビアに期待が高鳴っていた矢先、なぜか一成君は急遽キトに帰ると言い出した! いったい何故・・・?!
 彼の説明によると、旅程が2〜3ヶ月遅れてしまったため、次の中米走行は諦め、替わりにマイアミへ飛んで北米横断をしたいという。
 中米は、もう暑くて行く気がしないそうだ。
 ところがコロンビアからマイアミへ飛ぶ場合、料金が想像以上に高いことが判明し、バス代をかけてもキトに戻り、キトからマイアミに飛ぶほうが、日程的にも資金的にもかなりおトク・・・ということらしいのだ。
 う〜〜ん。。。多少お金や日数が余計にかかっても、コロンビアを走ってみたくないのだろうか?
 といっても、彼の心は既に北米に飛んで行ってしまっているらしい・・・なんだかいつも振り回されている気がする・・・。

 ちなみに、現在コロンビアの物価はエクアドルよりもさらに高く、スーパーに入った一成君は「何も買えんがー!」とブチ切れ気味。
 慰めといえば女性が美しいこと(?)。白人系も多いけど、黒人の割合も高い。彼女達のスタイルの良さに本当に見とれてしまう。(トモ子)

2005-02-23
Cali, COLOMBIA

曇り
0km 走行

カリ (COLOMBIA)
2005-02-26
Ermita教会と
Ermita教会と
<カリ→キト>

「世界で一番良かったところはコロンビアの田舎。一番嫌いなところはコロンビアの都会。」
 世界一周を成し遂げた人が、かつてそう話してくれたことがある。
 その言葉が頭の片隅にずっと残っているのだけど、その意味をほとんど探ることもなくコロンビアを去るのはちょっと心残り。
 でも背に腹は変えられん。それほど航空券の差額は大きいのだ!

 来たときと全く同じ経路で、2日かけてキトへ戻る。
 何十年後になるかは分からないけど、僕はいつかきっとこの道を走りに来るんじゃないか・・・と思う。コロンビアからベネズエラ、そしてブラジルへと抜ける道を走るために・・・。
 車窓の風景を眺めながらそんなことを考えていた。(一成)

2005-03-01
Ipiales, COLOMBIA

曇りときどき晴れ
6km 走行

さよなら南米
<キト滞在>

 キトでは再び「Hostal Sucre」に投宿。
 こんな大都市でありながら、2人で3.5ドル(385円)は本当に安い。助かるよね。
 キトはカリなどに比べると、どこか田舎っぽくてそして情緒豊かに感じる。
 インディヘナの女性の姿が南米的な風情をかもし出しているからなのだろう。

 新市街の旅行代理店を何軒も巡り、マイアミ行きの料金を比較する。
 そしてサンタ・バーバラ航空の「キト発(カラカス経由)マイアミ行き、片道US207ドル(22,770円)税込み」のチケットをとある代理店で購入する。驚くほど安い。
 中米のパナマへ飛ぶのとそれほど変わらない。ましてやサン・ホセ(コスタリカ)行きよりも安い。
 ちなみにマイアミ往復だと390〜410ドル(税込)くらいだ。

 しかし片道チケットでは米国への入国は不可能なので、その足でヒルトンホテルにあるアメリカン航空のオフィスへ向かう。そしてアメリカ出国用に「シアトル(米国)発バンクーバー行き(カナダ)、正規料金チケット片道250ドル(税込)」を現金で購入する。
これで片道チケットでもマイアミへ飛べるはず。
 米国到着後、「シアトル→バンクーバー」のチケットは払い戻す予定。小額の手数料で可能なはずだ。

 ところでコロンビア発のマイアミ行きは450ドルもしたんです。片道料金の格安設定が無いらしく、片道だと510ドル。
 わざわざキトまで戻った理由を理解していただけたでしょうか!?

 出発日は3月7日。それまでに荷物を整理して、日本へ送り返す小包をまとめたり、HP用のレポートを書き進めたり、輪行の準備をしたりと雑用に追われるのであった。(一成)

2005-03-03
Quito, ECUADOR

晴れのち曇り
0km 走行

<エクアドル→マイアミ>

 朝6時、まだ薄暗い中、日本人旅行者の男性に見送られて出発。
 雨が降っているけど、宿から空港までの約11kmは1時間ほどかけて自転車で走ってゆく。
 そして空港で2時間余りをかけて自転車を輪行する。
 ハンドル、フロントフォーク、チェーンホイール、サドル等を取り外して、フレームの突起部分は新聞紙でくるみ、町で買ったズタ袋にまとめて入れる。ホイール、予備タイヤ等も一つのズタ袋にまとめる。
 そしてパニアバッグ・・・合計4つの荷物をチェックイン・カウンターで預ける。重量は約60kg少々だった。

 本当は自転車は分解せずに、そのままの形で預けるほうが手間も要らず、取り扱われ方も安全で壊れにくいと思う。
 けれど、利用する機体が小さく、タンデム自転車の大きさを考えると、超過料金を請求される可能性も高い。
 もう資金的にも余裕が無いので、安全策として輪行することにした。

 飛行機は、サンタ・バーバラ航空 カラカス(ベネズエラ)経由のマイアミ行き。
 約3時間のフライトでカラカス着。そこでマイアミ行きに乗り換える際、パスポートや出国チケット、米国滞在理由などを細かいところまでチェックされて、なかなか重々しい感じだった。
 マイアミまでも約3時間のフライト。
 ベネズエラ人は無愛想・・・と聞いていたけど、不貞腐れたような顔で機内サービスしているスチュワーデスの姿はかなり印象的だった。
 とりあえず、これで2回目の南米も無事終了。何のトラブルも無くて本当に良かった。
約10ヶ月、9135kmの走行だった。

 午後5時半、マイアミ国際空港に到着。
 入国審査は長蛇の列。小一時間も待たされたけど、両手ひとさし指の指紋と顔写真まで撮影してくれて手続きを終える。
 そして税関のチェックも受けずに済む。けっこう緊張してたけど、スムーズに入国できた。ホッ。

 南米との空気の違い、清潔感、広々とした明るさにアメリカにやって来た心地良さを感じてしまうなあ。
 空港ではアメリカン航空のチケット発券カウンターに出向いて、アメリカ出国用に用意しておいた「シアトル発バンクーバー行き」のチケットを払い戻す。
 手数料も取られずに全額払い戻してくれて、おかげで懐が暖まる。

 他にもこまごまとした用事を片付けているうちにすでに夜8時過ぎ。さすがに今夜はちゃんと宿に泊まることにする。
 ホテル・インフォメーションの看板を見て、予約を入れて、ピックアップ・バンに運ばれて「Runway Inn」という名のモーテルに投宿。1泊45.20ドル(4900円)なり。
 なんとキトの宿代の13倍!もちろん設備も違うし、物価格差があるから比較するのは無意味なんだろうけど・・・。

 モーテルの部屋でまた2時間以上をかけて自転車を組み立てる。
 フレームの数ヶ所に小さなへこみや塗装のはがれ傷が見られたけど、その他は問題なし。
 さすがに今日は自転車をいじりつかれた。でもこの宿代では連泊できない。明日からは早速頑張って走らねば・・・。(一成)

2005-03-07
Miami, UNITED STATES

曇り
11km 走行

Tomoko and Kazunari
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